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映画『ロングデイズジャーニー』とは?
『ロングデイズジャーニー(Long Day’s Journey Into Night)』は、中国・貴州省を舞台にした幻想的な映像美と、夢と記憶が交錯する語り口で高い評価を得た作品です。監督はビー・ガン。2018年に公開され、世界の映画祭でも注目されました。
本作は物語性よりも“体験”を重視した映画です。観客を物語の外側から引き込み、登場人物の感情的な揺らぎや記憶の曖昧さをそのまま追体験させるような作りが特徴となっています。特に後半の3Dロングショットは、多くの観客を驚かせ、世界的に話題になりました。
物語の大まかなあらすじ
主人公のルオ・ホンウは、故郷である凱里(カイリ)に戻ってきます。ある女性のことを思い出し、彼女の面影を追いかけるように街を彷徨い始めます。物語が進むにつれ、現実と記憶、そして夢の境界が曖昧になり、観客は主人公とともに不確かな世界へと迷い込んでいきます。
本作は映画の進行そのものが“記憶の旅”であり、時系列や場所が直線的に並ぶわけではありません。観る側は断片をつなぎ合わせながら、登場人物の心象風景を理解していく必要があります。この過程こそが、作品の魅力でもあります。
映像美が与える没入感
『ロングデイズジャーニー』における最大の特徴は、圧倒的な映像表現にあります。雨に濡れた街並み、薄暗い洞窟、古びた映画館など、ひとつひとつのシーンが詩のように美しく、観客を迷宮のような世界へと誘います。画面に映る光や影は非常に繊細で、まるで絵画のような質感が漂っています。
特に後半のロングショットは、映画の技術的にも象徴的な場面です。ワンカットで40分以上のシーンを3Dで撮影するという大胆な挑戦は、多くの映画ファンを魅了しました。このシーンは単なる技術の誇示ではなく、物語の“夢の世界への没入”を象徴するものともいえます。
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次回(第2回)では、**作品のテーマ性**や**登場人物の心情描写**についてさらに掘り下げて解説します。
作品が描く“記憶”と“時間”のテーマ
『ロングデイズジャーニー』の根底に流れるのは、“記憶の曖昧さ”と“時間の揺らぎ”です。主人公ルオ・ホンウは過去の出来事を追想しながら、現実と記憶の境界をさまよいます。その過程で映し出される映像は、あくまで彼の主観的な体験として描かれ、客観的な事実とは限りません。観客は彼の記憶の断片を一緒になって拾い集め、ひとつの物語を紡ぎ上げることになります。
監督のビー・ガンは、時間を直線として捉えるのではなく、ゆらゆらと揺れ動く“感覚の流れ”として描く傾向があります。本作では、その特徴が特に顕著に表れています。ルオの心象世界が視覚化されることで、過去と現在が自然に混ざり合い、観客はつい時間の感覚を失ってしまうのです。
主人公ルオ・ホンウの心情と孤独
ルオ・ホンウは、故郷に戻ったことで過去の記憶と向き合わざるを得なくなります。彼が追い求める女性・ワン・チーウェンは、過去の出来事の象徴であり、彼の後悔や心残りと結びついた存在です。彼女に対して明確な“目的”があるわけではなく、思い出の中に残った曖昧な感情や未練に導かれるように彷徨っているのです。
ルオの孤独は、画面に表れる色彩や構図によってより強調されます。薄暗い街、湿り気のある空気、静かな夜。彼の心の内側がそのまま視覚化されたかのような場面が多く、観客はまるで彼の内的世界に寄り添うような感覚を抱くことになります。
象徴的に描かれる“女性”の存在
物語に登場する女性は、単なる人物ではなく、主人公の感情を象徴する存在として描かれます。特にワン・チーウェンは、現実の人物というよりもルオの記憶と欲望が混ざり合った象徴的なイメージとして表現されています。
彼女は物語の中で現れたり消えたりし、その存在自体が曖昧です。これは、ルオが彼女を“追いかける理由”は明確な答えを持たず、ただ感情の余韻を残しているだけだからです。この姿勢が映画全体を詩的な雰囲気へと導き、単なる恋愛映画とはまったく異なる独自の世界観を作り上げています。
観客を迷わせる“夢”の構造
後半の3Dロングショットは、物語の“夢”の側面を象徴する重要な要素です。このパートは、現実と夢の境界が完全に溶け合い、観客は主人公と共に迷宮のような世界へと入り込む感覚を体験します。
この長回しはまるでひとつの夢のように進み、映画館という空間そのものを忘れさせるほどの没入感を生みます。視点や距離感がゆっくりと変わっていくため、現実世界の時間とは異なる、独特のリズムが生まれるのです。
『ロングデイズジャーニー』をより深く味わうための視点
本作を鑑賞する際、一般的なストーリー映画のように「起承転結」を明確に追おうとすると、理解しづらさを感じるかもしれません。しかしその“とらえどころのなさ”こそが『ロングデイズジャーニー』の魅力のひとつです。映像や音、登場人物の動作、空間の空気感など、物語以外の要素に感覚を開くことで、作品の面白さがより立体的に見えてきます。
本作は、観客自身が自分の記憶や感情をそこに投影しながら観ることで、体験が大きく変わっていくタイプの映画です。だからこそ、他の人の感想と自分の感想が大きく異なることもあります。それは“意味が曖昧なまま”作品が提示されているからであり、監督が意図した最大の特徴でもあります。
映像と音が作り出す“体験型映画”としての魅力
色彩、構図、音響が組み合わさることで、本作は“体験する映画”として成立しています。特に雨のシーンや夜の街の描写は、視覚だけでなく温度や湿度までも感じさせるリアリティを持ちます。また、静かな場面が多いなかで、わずかな音や声が強い印象を残すよう設計されており、観客の注意を自然に誘導します。
3Dロングショットにおいても、視界の奥行きや距離感が現実とは異なるリズムで提示されるため、浮遊感にも似た感覚を味わうことができます。これは単に3D映像を用いたからではなく、カメラの動きそのものが“夢”の構造を表しているからです。
鑑賞後にじわじわ残る余韻
『ロングデイズジャーニー』が多くの映画ファンに愛される理由のひとつは、その“余韻の長さ”にあります。鑑賞直後にすぐ理解できる作品ではなく、時間が経つにつれて徐々にシーンの意味が浮かび上がってくるタイプの映画です。ストーリーのつながりや象徴的な描写が後から思い出され、その意味を考えていく過程そのものが作品体験となります。
また、作品全編に漂う郷愁や孤独感は、観客自身の過去の記憶と重なりやすく、ふとした瞬間に余韻を思い出すことがあります。風景や音、登場人物の仕草など、細部が印象的に心に残るのもこの映画の特徴です。
観るたびに新しい表情を見せる映画
『ロングデイズジャーニー』は、一度見ただけでは全体像の把握が難しい作品ですが、そのぶん繰り返し鑑賞することで、まったく違う発見が生まれます。特に時間や空間の扱い方が独特であるため、初見では理解しきれなかった構造が、二度目以降には自然とつながって見えることもあります。
これは作品が“解釈の余地”を多く残しているからこそ起きる現象です。観客の知識や経験が増えたとき、あるいは違う心境で観たときに別の意味が立ち上がる。そうした幅の広さが、本作の大きな魅力となっています。
まとめ:迷宮の旅を楽しむ作品
『ロングデイズジャーニー』は、記憶、夢、時間という抽象的なテーマを、緻密に計算された映像美で描く独特の映画です。物語を追うというよりも、登場人物の感覚を体験し、映像の中に身を委ねることで本作の魅力がより深く伝わってきます。
観客に明確な答えを提示するのではなく、余韻や解釈の広がりを残す作風は、映画というメディアの多様性を示すものでもあります。迷宮のような世界に足を踏み入れ、出口を探しながら彷徨う体験こそが、この作品の最大の価値と言えるでしょう。

